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スタジオ・アルテックが創ること

“スロー・アーキテクチュアーを創ります”

ファースト・フードに対抗してスロー・フードという概念がイタリアで提唱されて久しい。

グローバルに、同じ製法、同じ原料、同じ味、時間に関係なく、同じ空間であっという間に提供される食事に対して、個別の製法、地域の産物で、独自の味、季節ごとに、個別の空間で、時間をかけた調理こそ資源の浪費をなくし、人間らしい生きる歓びをつくりだす食生活であるはずだ、とする考え方です。

建築もまた全く同様なことがいえます。住まいの空間は勿論ですが公共の空間にとっても其の地域に根ざした発想による「場所性の建築」がそれです。

「場所」に対しては誰もが個人の独自な感慨を持っています。それはすべてが共通するというわけでもなく、また共通するものも含まれます。例えば富士山が望める場所では富士山に対して誰もがその優雅な美しさということを共有します。が、同時にそれぞれのバックグラウンドに応じたより複雑な感慨をいだいています。

建築は存在自体が、その大小にかかわらず社会的な影響力をもってしまうという特別なものです。人々に愛されてそこにあり続ける建築であるためには、人々とのコミュニケーションを可能にする存在でなくてはなりません。

「場所」という共通の意識の対象を基軸にしたテーマによる建築は、あらゆる人の場所に対する感慨にふれて、コミュニケーションの緒を持った建築であることができます。長い時間に耐えて人々の心と交歓を可能にする建築であることで人々に愛されるモノとなってゆくことができると考えています。

 

スロー・アーキテクチャーとは「場所」を強く意識し、たとえ選択肢が少なくても其の場所の、人と材料や技術で、時間をかけてゆっくりと、地域独自の感覚や意識を呼び覚ます空間の質を備えていることを大切にしてモノづくりしようとすることです。現代のモノづくりの実情に最も不足した要素であり、同時に建築に取って最も大切な事だと考えます。

 

“人びとのための場を創ります”

高齢者の「施設」を「住居」として創ります。

高齢者のための施設づくりが急務な時代となっています。

この種の施設は国や自治体の制度に則り運営や施設の基準が決められています。学校や病院も同様で、日常目にする其の空間は一目でそれとわかる、いわゆるいかにも「施設」といった雰囲気があり、人間の居場所としての当たり前の居心地のよさに欠けるものとなっている実情があります。

高齢者の居場所としての空間はそうであってはならないものです。

其の人が営んできた生きる場所としての住居の記憶に近い、それぞれの人にとっての住まいらしさと共通する居心地がなくてはならないものです。そのような空間の質を持ったものは制度に則った施設であっても建築家の知恵によって創りだすことができるものです。制度のためにソレができないことではありません。居心地の良い住居の空間をイメージする想像力と、人間のためにという、愛する心を問われている問題だと考えています。

高齢者福祉大国と言われるデンマークでは20年以上も前から、「行き届いた介護を与える施設」ではなく「高齢者のニーズに答える住居としての場所」を作る、という政策コンセプトに切り替えています。それによって高齢者施設の入居者の90%以上の満足感を得る場所という評価を得ています。すべての入居者に取ってそこが自分に取って安心感のある自分の居場所、住居と認識されているということです。

 

我々が「高齢者のための住宅コンクール:1998年JYUUKEN」で金賞を受賞した住居では,大きな玄関ホールがそこに住む高齢者の人生を彩ってきた持ち物の博物館とも言える倉庫状の場所です。そこは接客ができたり書斎であったり会を催したり出来る空間です。そして玄関ホールでもあるのです。訪れた人は自ずと住人の記憶の品に触れて其の話題となりその人となりを感じる事ができる場所となっています。そして住居の中心をなす空間は天井が高く日当たりの良い、フラットで回遊のできる一室空間となっています。そして大事なことは、介護する人もされる人も切れ目のない相互関係からいっとき離れて一人を感じられるコーナーが考えられていることと、同時にお互いを感じられる距離感を意識できる仕組みができていることです。

高齢者のための居場所は、このように記憶という人間の生きる源をなす感覚を大切にし、孤独感を払拭しながら同時に個人としての自覚を促す要素を持った空間であることが大切だと考えています。

 

“モノのためではなく心のための空間を創ります”

建築はあたりまえのことながらモノで出来ています。

木、ガラス、コンクリートや石といった素材を構成して、そこが意味のある場所と感じられる秩序立てられたものにする作業が設計だということもできます。

現代のようにあらゆる分野で世界との交流が活発な時代は建築素材の場合も世界中から気に入ったものを手に入れることが容易に可能な時代です。

そのような中にあって、モノの価値が高価であることや稀少性に頼って評価され、目を楽しませる表層の悦楽を享受することが目的となる、とも言うべきことが避けがたく生じています。

 

素材感や質感の確かさは建築の構成に取って重要であることにほかなりません。

が、ソレは空間を作ることに取っての手段であって目的ではないことに注意深くなくてはならないと考えます。

空間を構成する、つまり「建築する」目的はそこが意義深い場所と感じられるために、床、壁、天井の関係性がどのように其の場所に相応しく、美しく秩序立てられているか、ということです。そこに介在する光と翳によって其の秩序感がより鮮明に感じられて、奥行きや広がりの境界が曖昧性を伴って様々な想いにその都度の発見があるような場所を作ることです。別の言葉にかえて「その場の空気のあり方を、ほかならぬ其の場所だからこそという独自なものにつくること」、といえます。さらに言えば建築に求められる機能や使い勝手の充足は時間と共に変わりゆくものです。変わらない確固たるモノによって構成された美しい場では、それぞれの人々に委ねられた、時間を超えた発見の喜びと自由を意識させ、ソレが生きる歓びを作るということです。

 

そのようなことにとっては表層の素材感も大切ながら、最も重要なことは光と翳そしてモノの大小の関係という事実・実体の在り方に心の琴線に触れる秩序が感じられるかという事です。

安価でありふれたものによってでもそのように実態を秩序立てることは想像力によってできることです。

それは高級なものではなく高貴なモノを作るということだと考えています。